2012年04月23日

沖縄の祖国復帰を高校の授業で教えるらしい

 出会いと別れの4月も終わりが近づき、私にも何か新しい出来事が起きたような起きなかったような気がするそんな今日この頃です。そして私はたった今新しい記事を見つけたのです。

高校で「復帰」教育を 県教育庁が異例の通知(2012/4/23)

 県教育庁県立学校教育課は22日までに、復帰40年の節目を機に復帰前後の沖縄の状況や今後の在り方について、生徒に認識を深めさせる取り組みを実施するよう依頼する文書を県立高校へ送付した。特定の学習テーマについて、取り組みを求める通知は異例。
 沖縄の歴史を学びたいという生徒からの声などを受け、同課は昨年11月に依頼文書を、ことし3月には米軍占領の経緯や基地問題などに関する参考資料を各校へ送っている。
 「県民一人一人がより豊かさを実感し、自信と誇りを持てる沖縄の創造に向かってスタートする」ことが狙い。社会や公民、地理歴史の授業、特別活動、全体集会、総合的な学習の時間を取り組みの場に位置付けている。講演会を予定している高校もある。
 これまで教育庁は、「慰霊の日」の各校の取り組み状況についてアンケートを実施しているが、今回の「復帰40年」も取り組み後にアンケートを実施する。
 新城俊昭沖縄大学客員教授(琉球・沖縄史教育)は「高校では、復帰を含め沖縄の歴史を体系的に学ぶ機会がほとんどない。一時的なものではなく、必修化するなど工夫が必要だ」と話した。





★沖縄では沖縄の歴史を教えるのが筋である
 上記にあるように、県教育庁が沖縄の復帰について認識させるように、と各高校に通知をしたのです。他にも米軍占領の経緯や基地問題に関する参考資料を送ったとのことです。この資料に沿って実際の授業が行われるのでしょうから、どんな資料か気になりますが、まあ教育庁の資料なわけですから、だいたいこんな感じ(リンク)なんでしょう。

 いやまあでもこれは素晴らしいことです。人間がまともに自己を見つめなおしてみようと思えば必然的に自分や両親や祖父母や曾祖父母やそのまた先の先祖が育った土地の歴史を自己の拭いがたき構成要素として認識せざるをえないわけですから、沖縄県民には沖縄の歴史を教えるのが筋ってもんです。

 あまり大きな声では言えませんが、私は学生時代から日本史が嫌いでした。必修科目として日本史があることに納得がいかなかったのです。古事記にある神話やら聖徳太子やら平安時代やら武家政権の成り立ちやら戦国時代やら江戸幕府やら幕末の動乱なんて、どう考えても私の拭い難き構成要素にはならない、と思っていたのです。というか今も思っています。わかりやすくいうと、なぜか韓国の歴史が義務教育の必修科目になっていた、という感覚です。近いけど関係ないのです。もちろんこれは少数派の感覚です。

 そしてさらに小さな声で言うと、皇室についてもまあ長く続いている王統ということで尊敬はしますが、「陛下のお言葉に深く胸を打たれた!体中が震えた!」みたいな感覚は全くありません。大国主の命やら神武天皇やらなんて沖縄の歴史には全く関係がなく、すなわち私にも全く関係がありません。まあ英国王室と同等の尊敬はしています。たまに建国記念日なんかに沖縄県民が今上天皇への宗教的畏敬の念を発揮するような集会をしているのを見ると「琉球の事大主義ここに極まれり」と冷めた気分になります。100年後には米国大統領でも中国の国家主席でも崇拝してろ、って感じです。

 つまり、たまにテレビなんかで激動の昭和を振り返る!!といった番組がやっているとそこでは戦後の荒廃から奇跡の高度成長、安保闘争、東京オリンピック、オイルショック、と来るわけですが、それを見ても「おれには関係ねえよ!」と突っ込んでいた私からすると、まさに沖縄の歴史である祖国復帰を高校で教育するという自体は非常に感慨深いのです。



★復帰は重要な歴史的出来事
 いや俺も高校生の頃に戻りたい。祖国復帰は非常に重要な出来事です。沖縄の歴史の中で自身の運命を(曲がりなりにも)主体的に決断したほぼ唯一の経験、それが復帰です。であるならばこれを主体的に総括し、この経験が自身の血肉となるような意味付けをし、それを積極的に沖縄が引き受けないかぎり、沖縄の歴史が前に進むことはない。そればかりか沖縄という共同体そのものが空中分解することにもなりうる。もう沖縄戦やら琉球処分なんて比にならないくらい祖国復帰は重要です。

 いまは沖縄戦が沖縄を分析するなり解釈するなり際の基準となりすぎなのです。平和やら命どぅ宝なんて言葉でもって今後数百年は続くであろう沖縄の歴史を語れるとは思えません。何かしらの言論をやる立場にある人にとって、現代沖縄社会を総合的に規定する際に便利な言葉が沖縄戦なのであって、思考停止で間に合わせの尺度として沖縄戦を持ってきているように思えます。

 沖縄戦なんて経験していない世代である私からすると、もっと刺激的で深く腑に落ちるような尺度で現代沖縄社会を規定できるだろう、と思えるのです。



★補足
 私があまり好きではない日本史の勉強をしていた学生の頃、幕末のあたりで、攘夷派から開国派に大勢が急に変わったことに違和感を覚えました。攘夷!と叫んでいた奴らが急に開国!と変わったわけです。しかしそれも幕末のことをよくよく調べてみると、ちゃんと納得できる論理があって攘夷派が開国派に変わったりしているわけです。そして明治維新を経て富国強兵&殖産興業、不平等条約改正という流れには感動すら覚えます。

 沖縄の復帰運動をみても、時代が経るにつれて当初の日の丸復帰から反戦復帰へと大勢が変わり、復帰直前になって(即時無条件全面返還なき)復帰反対やイモハダシ論へと変節するわけです。高校で復帰についての授業をやるのなら、こういうところを詳しく教えたほうが復帰前後の状況や今後の沖縄の在り方について認識を深めさせることになるのでは、と思います。

  

Posted by papapa at 15:16Comments(0)TrackBack(0)歴史

2012年02月12日

日本の政府は沖縄を差別しているのか?

 ここで再び普天間移設の話題をば…。

1.岩国の協議否定 外相ら さらなる負担増回避(2012/2/8)

2.在沖米海兵隊の国内分散否定 防衛省幹部(2012/2/11)



★地元の意向を重視する日本政府(ただし、沖縄は除く)
 まず、1の記事についてです。前回にも書いたとおり、アメリカの方では辺野古移設を断念するかもとのことですが、さらに在沖米海兵隊の一部を山口県の岩国に移転しようかとも打診していたらしいです。これに対し、玄葉外相は「協議はしていない」とした上で「一般論として、(沖縄の)負担軽減の意味で、国外(移転)という面と、全国で負担を分かち合う意味と両面ある」と述べ、沖縄だけに負担を集中させず、国内で負担を分担することも重要だとの考えを示したらしいです。
 
 一方で田中防衛相は「最終的には地域の方々のご理解が得られなければならない。地域の皆さんとの連携は大事だ」と述べ、地元(岩国)の反発が強い場合は移転に応じられないとの認識を示したそうです。

 続いて2の記事についてです。防衛省幹部が、在沖海兵隊の岩国移転について、日本側からそれを米側に提案することはない、と断言しています。



★普天間移設問題の経緯
 さてここでこの普天間移設をめぐるこれまでの経緯を大雑把に振り返ってみると、以下のとおりになるはずです(間違えてたら教えてください)。

・1995年9月4日に米兵による少女暴行事件が起きる。

・「危険性除去」という観点から普天間移設が取り上げられる。

・1996年12月のSACO合意により、普天間基地の県内かつ海上への移設が決まる。辺野古に移すことになる。以後、大田知事(当時)のもと、橋本総理(当時)の理解もあり、経済振興と基地移設の話が進む。

・名護市の住民投票による移設反対の結果を受けて、名護市長選の直前である1998年2月6日に大田知事が、まさかの県内移設拒否表明。経済振興策もストップ。いわゆる県政不況へ。

・1998年の県知事選で、大田を破り稲嶺知事が誕生。15年の使用期限、軍民共用の空港をつくるとかの条件をつけて、辺野古沖への海上ヘリポート建設への手続きが進んでいく。地元市町村への同意や環境アセスとかの手続きも進んでいたが、実際の現場は反対派の活動による抵抗が激しかった。

・2005年頃の日米安全保障協議会で、突然に日本側はシュワブ陸上案、米側は浅瀬案を主張するようになる。

・2006年5月、日米共同発表及び米現再編実施のためのロードマップで、L字型のシュワブ沿岸案が合意される。SACO合意はなくなる。沖縄県側は突然の変更に反発するが、政府は強引にすすめていく。

・沖縄県側としては、沿岸案は辺野古集落との距離が海上案よりも近くなるため、移設をできるだけ沖合にずらすとか、飛行経路を確認するとかいろいろやっている中で、2009年民主党政権が誕生する。

・鳩山政権(当時)のもと県外移設が模索されるが失敗。沖縄県側は移設容認の意思決定が不可能な状況に追い込まれ、県外移設で固まる。

 大体以上のような感じで、普天間移設の経緯は語れるはずです。そしてここで注目したいのは2006年の、在日米軍再編ロードマップについてです。

 稲嶺知事誕生後、普天間移設は海上案で進んでいたのですが、実際には反対派の違法すらいとわない抗議活動により事態は硬直していました。そしてこの時期には政府側もこの抗議活動に参っていて、県外移設への道も模索していたようなのですが、それは結局無駄でした。そして反対派の抗議活動が及ばないシュワブ陸上案を日本政府は主張するわけです。一方で米政府側は実際の運用面を考えて浅瀬案を主張していました。そして両者が折衷した形で、沿岸案に落ち着くわけです。

 沖縄側からすると苦労のすえに合意をかき集めた海上案を突然反故にされたわけです(移設の事業主は防衛庁であり、反対派の抵抗は彼らが対処すべき事態です)。そしてそれを受け入れるよう頭ごなしに沖縄に接してきたわけです。日米ロードマップ合意以前に、おそらくは地元の反発にあって内地への県外移設を断念した政府が、沖縄に対しては強引に県内移設を求めてきたという形になります。



★日本政府は沖縄を差別しているのか?
 このような経緯を踏まえて1の記事を見てみましょう。田中防衛相は「最終的には地域の方々のご理解が得られなければならない。地域の皆さんとの連携は大事だ」と述べ、地元(岩国)の反発が強い場合は移転に応じられないとの認識を示したそうです。そのくせに、政府は普天間の県内移設をすすめる方針なのです。防衛相の示した論理は沖縄には適用されないのでしょうか。

 県内移設すべきか否かの話になると、今までは沖縄の軍事的価値の重要さが一つの論点になっていました。そして日本政府は沖縄の位置の重要さを説きながら、心苦しくも県内移設をすすめるという話をしていたはずです。しかし今回、当の米軍側からある程度の県外移転の打診がなされたという事実は沖縄の軍事的価値という論理を弱めます。そうであるならば、軍事的価値という仕方のない事情で心苦しくも県内移設を求めてきていたはずの政府としては県外移設を進めてもよさそうなものです。しかし実際には、地元(岩国)の反発を理由に「移転には応じられない」との認識を示しました。

 ほほう、この展開は何か変ではないか。

政府「県外にしたいけど抑止力とか日米関係とかあるから沖縄に移設する」

沖縄「過重負担だ、反対!」

政府「まあそう言わずに。いろいろ見返りもあるから(頑張って地元を説得しなきゃ!)」

アメリカ「いくらか岩国に移転してもいいよ、その方が運用しやすそうだし」

岩国「過重負担だ、反対!」

政府「わかった。じゃあ沖縄でいいや」

 沖縄に対しては強引な手法を使ってでも移設を進めようとするのに、岩国に対してはまともな説得もしようとしないのはどういうことなのか。基地の過重負担という点では沖縄がずば抜けているはずだ。その負担を軽くするチャンスが到来しても政府は沖縄への移設を進めようとする。これが構造的差別ってやつなのだろうか。沖縄はやり込めやすい相手だとも思っているのだろうか。沖縄の人の生活は岩国よりも軽視してしかるべきものである、とでも政府は思っているのだろうか。

 そんな疑念が頭をよぎった今日この頃でした。

 
  

Posted by papapa at 19:35Comments(0)TrackBack(0)基地

2012年02月04日

普天間移設は県外とか県内とか…難しい問題だよね

 扇風機とサーキュレーターの違いとは何でしょうか。サーキュレーターは主に換気用らしいです。扇風機より風の直進性が強いらしく、室内の空気循環や換気にはサーキュレーターの方がいいらしいです。そんな情報を耳にするとガムテープで補強された我が家の扇風機が急にみすぼらしく見え、約8年の付き合いに別れを告げてサーキュレーターを買いました。私は煙草を吸うので、たとえ季節が冬であっても「部屋の換気の助けになれば」という思いで扇風機を回し続けていました。換気目的であるならなおさらサーキュレーターのほうがいいわけです。新しい情報が入った、ということだけで、8年間私に仕えてくれた扇風機を無情にも捨ててしまうという節操のなさには我ながら呆れました、はい。


というわけで、以下の記事。

米、普天間の辺野古移設を断念へ(2012/2/4)



★普天間移設問題の罪
 スクープです。沖縄タイムスのスクープです。米国防総省と米議会のやりとりのうち、国防総省が「辺野古への普天間移設を断念する」と米議会側に伝えたらしいのです。まだ公式に確定したわけではないのですが、つまり辺野古移設が無くなるのかもしれないのです。

 記事はもはや辺野古移設中止が決定的となったともいわんばかりの書きっぷりです。沖縄の問題が県議会でも国会でもなく米国議会で決まるというのは大いに首を傾げるべき事態ではありますが、まあ大スクープです。こういう事態になってくると、「じゃあ結局普天間は固定化するのか」とか「政府はまだ辺野古移設を推進するのか」とかいろいろな疑念が頭をよぎりますが、この普天間移設問題はこれまでもあらゆる人間のあらゆる妄想を所々で掻き立ててきたという前科があります。



★賛成派にも反対派にも理がある
 普天間移設をめぐるこれまでの議論の中で、辺野古移設に賛成するにせよ反対するにせよ、この問題を真剣に考えてきた人たちの中で共通する思いがあります。それは沖縄の幸せを願う気持ちです。単純な平和主義を心から信じて基地反対を訴える人たちは夢想的に過ぎますし、沖縄の地政学的重要性とかなんとかを訴えて県内移設を断固推進する輩も狂人です。彼らの論理を突き詰めれば、東アジアの平和と安定の観点から考えると沖縄からは一切の人間を排して沖縄の全てを軍事基地にするほうがベストの状態であり、県民と基地が共存している現状はベターな状態である、ということになります。沖縄を犠牲にして成り立つ「東アジアの平和と安定」など、くそくらえだ!そんな東アジアは滅んだほうがよっぽどいい、と沖縄に住む私は思います。沖縄は誰のためにある島なのか、と。

 まあそういう人たちは論外として、沖縄の幸せを真剣に考えた上で県内移設賛成/反対を唱えてきた人たちの意見は心にしみます。沖縄にとってもプラスとなる東アジアの安全保障や県経済や県財政のことを考慮した上で県内移設やむなし、とする意見も、アメリカの軍事事情を冷静に分析してみせた上で県内移設は沖縄への構造的差別の賜物である、県内移設反対、とする意見もともに立派なものです。



★普天間移設問題の進展は不確実性の中にある
 私はそう思います。しかし私がそう思ったのは、マスコミからのニュースやネットなどで知り得た情報によってです。一般庶民である私にとってはそれしかできません。県内移設賛成派の論理にも反対派の論理にも、どちらにも理があるように思えるのです。実際にどちらの論理が真相なのかはわかりません。そのような中、事態は今回の記事のようにドラスティックな局面を迎えるのです。

 普天間移設問題に関して、大転換とも呼ぶべき事態が起きるのは何も今回に限った話ではありません。1995年の少女暴行事件以来、辺野古移設が進展するかと思いきや大田知事のまさかの県内移設反対表明、県内移設進展かと思いきやSACO合意案消滅による泥沼化、と思いきや民主党政権に寄る県外移設表明、と思いきや県内移設路線への回帰、と思いきや今回の記事、といった次第なわけであります。そしてその時々に応じて、県内移設賛成派、反対派の両方から、沖縄の未来を眼差した説得力のある議論が展開されていくわけです。



★県民は普天間移設問題にどう接することができるのか
 私も含めた一般県民は、①賛成派、反対派ともに説得力ある議論が展開されるが真相はわからない、②事態はその時々で変節していく、③移設問題の意思決定のプロセスは不可知である、という状況に置かれています。このような状況の中で一般県民がとれる態度は限られています。

 まずひとつは政治的無関心をとることです。つまり沈黙してみせるのです。私たちの手には負えないところで事態は進行するのですから、「政治的なトピックですから発言は差し控えます」という態度をとるのです。そのかわり経済的な事柄にでも身を粉にしていけばよいのです。

 もう一つは「祈る」ことです。つまり信頼できる政治家に希望を託すのです。不確実な情報と想念により形成される不定形の見識しか抱けない一般県民が沖縄の幸せを思うには「祈る」ことしかできません。「とにかく幸せになれますように」とお導きを願うしかないのです。そしてそのために一般県民よりも事態に深く関わり、意思決定のプロセスにも関わるであろう政治家(下地幹郎を想定しています。)に、一般県民の祈りを確かに汲んでくれるほどの度量がある政治家に思いを託すのです。

 最後は、誤りを恐れずに意見を表明することです。先にも述べたように、私は、まともな県内移設賛成派には共感します。今回の記事をもって単純な反対派が彼らを罵倒することは許せません。沖縄の幸せを真剣に考えた賛成派を馬鹿にすることは誰にもできません。

 一番目の態度は多くの沖縄県民に見られるものでしょう。二番目の態度は、その祈りの対象が日本政府や米国政府となれば、琉球王朝時代以来の伝統精神である事大主義の発揮とつながる恐れがあります。三番目の態度が最も自律的です。誤りに陥る可能性も大ですが、それを恐れては何もできません。



★結局、「難しい問題だよね」ってしか言えない
 そして当の私は、一番目と二番目の態度を行ったり来たりしています。政治的に困難な問題に一般県民が直面した場合、それを真面目に考えようとすると沈黙するか祈るかになってしまうのではないでしょうか。しかしそれは真面目ではあっても誠実な態度ではありません。

 今回の記事では普天間移設問題についてあらためて考えさせられました。この問題は普天間移設に限らず、昨今に世を賑わせたTPPにしろ原発にしろ、政治的な問題について我々が取りうべき態度は何か、ということにもつながると思います。不確実性が充満する中、確かな見識を持たない私たちがそれについての意見を表明するのは困難なことです。決断を下さなければならない立場にある人の苦労が察されます。そして立派な大人でありたいと思うのならば、沈黙や祈りの段階にとどまっていてもいけないはずです。

 

 
   

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2011年11月06日

沖縄振興一括交付金は沖縄自治論の最先端である

 最近、部屋の模様替えをしまして、机の上にパソコンのディスプレイとテレビを並べておいてみるとなんだかマルチディスプレイの環境にいるような気がして悦に入っているのが最近の私です。
 
 というわけで以下の記事。

知事、一括交付金など要請 2日連続で首相と会談(2011/10/29)




★仲井真知事は復帰後の名知事である
 まあ何かと言いますと、世を騒がす沖縄振興一括交付金の話でありまして、いままで国からもらっていたひも付きの補助金をほぼ全額そのまま使途自由な交付金にしてくれ、という話です。去年の今頃から出ている話ですね。

 例えて言うと、サンエー商品券やら図書券やらプリペイドカードやらポーク缶やら干ししいたけやらでしか仕送りをしてくれない親に、「現金で仕送りをくれよ」と言っているわけです。しかし当のご両親は、息子に現金を送ると風俗やらパチンコやらろくな使い方をしないだろう、と思っているわけです。我が息子には有効かつ効率的な金銭管理はできないであろう、と。生活保護受給者には現物支給せよ!というのと同じ考えですね。

 でまあ、当の沖縄振興一括交付金は現在、内閣府が財務省に来年度予算の概算要求として出しておりまして、鋭意査定中のことと思います。県は3千億円の一括交付金を要望していますが、内閣府は金額を明記しないまま予算要求中ということです。それで記事では、仲井真知事が野田首相に県要望の実現を要請した、ということなのです。

 別に私は仲井真知事の関係者でも自民党員でも何でもありませんが、この一括交付金といい、沖縄21世紀ビジョンといい、みんなでグッジョブ運動!といい、仲井真県政の施策や提案には素晴らしいものが多い、と思います。もちろん以前の県知事も沖縄のためになる素晴らしい施策をやってきたのですが、仲井真知事の場合はその施策の目的と手段が、沖縄の現状という結合子のもとでうまく連関しているように思えるのです。夢想的で白ける政策や現状維持の事なかれで退屈な政策とは違うのです。

 彼の施策が全て実現すれば、仲井真知事は沖縄史に名を残す政治家になることでしょう。



★一括交付金は沖縄自治論の系譜に連なる
 まあその話は置いといて、問題は一括交付金です。なんだか、補助金が交付金になる、という話だけでは、単なる行政の技術論ということになってしまい、財政悪化が云々だとか、普天間移設と取引でアメとムチが云々だとか、沖縄を甘やかすなだとかの話になってしまいますが、これが実現するとそれだけの話にはおさまりません。

 一括交付金として財源が措置されれば、それは沖縄が自らの判断で自身の公共的な事柄に関する施策を打ち立て、実行するということになります。これは沖縄の自治が確立するということにほかならないのであります。

 沖縄には琉球処分以来、沖縄の人たちが時代の節々で自治を求めてきたという歴史があります。直近の例で言えば、道州制論議であり、国際都市形成構想であり、特別県構想であるわけです。そしていまあげた3つの議論すべてに、沖縄が自由に使用できる財源の必要性が謳われており、それを国に要望していました。

 道州制にしろ国際都市にしろ特別県にしろ、「沖縄の自治・自立」という理念が色濃く目立つ話です。そのためにこれらの議論は理念先行に陥りやすく、また沖縄を研究や評論の対象とする者によく取り上げられてきました。そして実現可能性や具体性に欠けた議論で語られる未来構想は人々の関心を一挙に集めた途端にその空虚さを露呈し、求心力を失います。

 一括交付金は県政の国に対する要望という具体的な形をとっています。それ故に人々の関心をそれほど多く集めていませんが、実現可能性という点では以前の未来構想よりも現実味があります。そしてそれは沖縄に自治の条件を与えることになり、かつて人々の関心を集めた各種の未来構想を実現へと向かわせる力となります。ちなみに現在の沖縄の未来構想や理念は沖縄21世紀ビジョンにあるわけです。

 一括交付金は、それ以前の沖縄自治論と比べると思想的にも政治的にもそれほど耳目を集めるものではありませんが、自治の必要条件たる財源を確保する、という点を鑑みると、その重要性は他の構想に勝るとも劣らないわけです。

 というわけで、一括交付金をめぐる最近の動きは、沖縄自治論アーカイブの末尾に書き加えておくべきである、と言えるわけです。そのうち沖縄学者たる輩が研究対象とするでしょう。もうしてるかもしれんが。
   

Posted by papapa at 16:46Comments(0)TrackBack(0)政治・行政

2011年10月27日

世の中には2種類の人間がいる。東京AIMを知っている奴と…略

 「世の中には2種類の人間がいる。◯◯な奴とそうじゃない奴だ」っていう言い回しは卑怯です。だって◯◯に一つの行為なり性質なりを表す言葉が入るとすれば、そこに何を入れたって成立するわけじゃないですか。「Pまたは非P」ということになり、この命題は何かを言ったようで実は何も示していない、というわけです。いや先日飲み会に参加したら、この言い回しをしていた同僚がいたわけですよ。

そしてこの記事。

沖縄型ジェイ・ノーマッド」創設へ調査 県、産業振興公社に委託(2011/10/27)

 県産業振興公社は26日までに、金融特区に指定されている名護市への移転構想を提起したプロ投資家向けの市場を運営する東京AIM(エイム)への上場を審査する指定アドバイザー「沖縄型J―Nomad(ジェイ・ノーマッド)」の設立可能性を探る調査を始めた。上場可能な対象企業数などを調べる。
 ベンチャーの入り口拡大や金融インフラの整備として「沖縄型ジェイ・ノーマッド」の創設について、同公社と協議していた県が1日に調査事業(約1200万円)として委託。東京エイムや野村総合研究所が全面的に協力する。委託事業は2012年3月末までで、早くて同4月の会社設立を目指す。
 東京エイムは上場のための数値基準がないことなどから地域の中小・ベンチャー企業が参入しやすい特徴がある。同公社の担当者は「小規模企業でも市場で株式評価を得た場合、M&Aや株式譲渡など円滑な事業継承につなげられる。まずはニーズを把握したい」などと説明。県内企業に上場の仕組みなども提案する。




★東京AIMがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!
 そして私は東京AIMなるものは今日に至るまで知らなかった部類の人間なわけです。したがって以下の文章は浅はかな私の単なる感想文になるのですが、これは雑記帳なのでそれでいいのです。

 それでも気になる記事なので、少しネットで調べてみました。そもそも東京AIMとはなんぞやというと、「東京Alternative Investment Market」の略らしく、もう一つの証券市場、といったところでしょうか。

 その特徴としては、
①市場に参加できる投資家が制限される。銀行や生保などの機関投資家や、株式会社、個人投資家も一定の投資経験と財力があればOK

②上記の投資家は上場企業や市場をまあまあ正確に分析できる、故に投資のリスクもまあ自分で管理できる。だから通常の証券市場にある投資家保護的な規制のない市場

③上場できる企業は東京AIM取引所が指定する「指定アドバイザー:J―Nomad」が審査する

ということらしいです。

 通常の証券市場ではなかなか資金が調達できないベンチャー企業などを上場させ、彼らの資金流動性を確保し、それによって企業は成長し、それがAIMに更なる資金を呼び込み…ということでしょうか。もともとロンドンにはこのような証券市場が既に機能しているようで、東京AIMも東証とロンドン証券市場が協力して2009年に設立されたものだそうです。

 しかし日本にはそのような証券市場の需要がないのか、エンジェル投資家がいないのか、東京AIMの実績は芳しいものではなく、2011年の6月にようやく初の上場企業が誕生した程度のものだそうです。まあ香港とかシンガポールとか海外の市場で既にそういうことはやってそうですしね。



★なぜ沖縄なのか、海がきれいだからか?
 というわけで東京AIMは以前から名護市の金融特区への移転構想を提起していて、株式譲渡益の非課税化とかが特区で認められれば移転するよ、と言っていました。

 話はそれますが、こういう企業誘致なり産業の空洞化なりの話でよく、法人税減税とか税制優遇がある地域に企業は出ていくのだという話があります。しかし単純に考えると企業活動に適した環境というのは税制に100%依存するわけではありません。他にはその地域の人材なり、市場規模なり、立地条件なりが誘因として考えられるわけです。沖縄の場合は最後しか満たしていません。しかしそれすらも台北やら香港やらソウルやらの近隣都市にお株を奪われている現状ですので、もう海しかありません。仕事が終わったら、車で数十分もすればすぐに綺麗な海が見れるよ、ここでビジネスしてみないかい?と誘うしかありません。冗談ではなく、わりと真剣にそう思います。

 そして話を戻すと東京AIMが名護市への移転構想を提起していたわけです。外為どっとコムなんかが既に名護市に来ていますね。ちなみに普天間基地移設先とされる辺野古らへんにきていますね。まあ東京にいても業績がよろしくなかったわけで、それならば税制優遇を拡充できそうな地域である沖縄に移転したほうがまだましじゃないか、というのが東京AIMの考えだとしましょう。



★沖縄にメリットがあるのか
 そして記事によると産業振興公社の担当者は「小規模企業でも市場で株式評価を得た場合、M&Aや株式譲渡など円滑な事業継承につなげられる。まずはニーズを把握したい」ということで県内企業の上場ニーズを調べるということです。M&Aや株式譲渡が、事業継承の問題に役立つかもしれない、というのはわかりますが、それが県内産業の振興又は発展につながるのか、ということには疑問符がつきます。まあまあうまく経営できている県内企業の多くはおそらく琉銀やら沖銀やらをメインバンクとし、長期的な関係のもとで間接金融をやっているわけで、それでまあまあ安定的に資金繰りができていて、それゆえにまあまあ安定的な雇用なり経済効果なりが沖縄県に生まれているとしましょう。その関係を切り離して金融市場の過剰な流動性に企業の資金繰りを任せようというのは県の産業振興を預かるものとして一考に付すべき事案じゃないかと、素人の私は直感したのです。

 というか、地銀に自らの事業計画を納得させられないのにAIMで金融をやって収益をあげられる県内企業なんてそれほど多くはないはずなので、仮に東京AIMが来たとしても県内企業が上場することはほとんどないでしょう。

 となれば、AIMができることによる沖縄のメリットは金融機関や情報産業集積の一助となること、雇用の一助のとなることぐらいでしょうか。雇用については、沖縄県民がシンガポール並みに、「英語と中国語は当然話せます」ぐらいにならなければ、東京AIMのまともな一助にはならない→沖縄県民のまともな雇用にはつながらないでしょう。私もそれぐらいできるようにならなくてはいけないのでしょうか。おお、こわいこわい。でもがんばろう。

 国に税制優遇の要望をして、それが通るだけで東京AIMが来てくれるのなら、大した経済効果をAIMが生み出さなくてもいいのです。現在のところ、実際にこの東京AIM関連の調査事業として、約1200万円の公費が県から公社におりたわけですので、このコストに見合うぐらいのリターンを沖縄県が得られればいいわけです。その程度の期待でもって、私はこの記事を読みました。




 今日の文章は何のまとまりもない、ただの雑感をつらつらと書いたものになってしまいました。もともと金融関係の知識が欠落していますので、もっと勉強しないと、この話をうまく整理することができません。  

Posted by papapa at 19:58Comments(0)TrackBack(0)経済

2011年10月20日

「みんなでグッジョブ運動」の成功には沖縄の独自性が必要である


★世界のウチナーンチュ大会
 先日の話ですが、第5回世界のウチナーンチュ大会が開催され、無事に閉会しました。世界には約40万人の県系人がいるらしく、そのうちの何人かが来沖して、またもとの生活に戻っていったわけです。県内の新聞でも様々な報道がなされていましたが、その報道の仕方は、若い世代の県系人にも沖縄精神を継承し発展させようというものでした。その他にも、ウチナーンチュが海外に出てがんばっている、それは勇壮ですばらしいことである、いまの沖縄の若者も海外にでてがんばってみようというものも多かったように感じました。

 またこの県系人のネットワークを活用してビジネスチャンスがつくれないかというビジネスフェアも開かれたり、WUB(worldwide uchinanchu business association )なる団体がこのネットワークを活用しようとしていたりとしているわけです。

 

★グッジョブ運動の意味-口減らし&将来への投資
 雇用にしろ企業活動にしろ、県外での経済活動の可能性があることがこの大会やそれをめぐる報道で示されていましたが、当の沖縄県ではだいぶ前からみんなでグッジョブ運動なるものをやっています。沖縄に住むものであれば一度は耳にしたことがあるでしょう。

 沖縄は失業率が高く、中でも24歳以下の若年失業者は全体の3割程度を占めるなど、全国平均と比してもかなり高くなっています。ちなみに全国平均の同率は2割程度です。
 
 そこでグッジョブ運動では、若者に対して働くことへのモチベーション高揚を図り、また県内での就職に拘らずに県外での就職にチャレンジせよ!と訴えているのですが、これは口減らしの政策でもあります。失業者が減り、若年者がまともな職に就くというのは、個々人の人生においても沖縄社会においても重要なことです。しかしながら県内経済だけでは増加を続ける労働人口をとても吸収できないので、失業者が無気力に街を闊歩するよりかは県外に送り込むほうがよいわけです。

 もちろんこれは悪いことではなくて、個々人にとっても沖縄にとってもいいことです。沖縄では仕事がなく、自立できないのなら県外に出て就職し、そこで生活の基盤を築いたほうが経済的にも精神的にも彼の人生にプラスとなるでしょう。また沖縄からしてみれば県外就職者の増加は県内の雇用事情改善につながるのはもちろんですが、沖縄県人が県内を超えて活動することは将来の沖縄経済の発展に可能性を与えることにもなります。

 沖縄には故郷思いの人が多いという事実がより一層その期待を膨らませます。東京で大企業なんかに就職し、完全に地元を捨てて生きていく人もいるのでしょうが、何かしら沖縄の役にたってやりたいと思う人も多いわけです。仲井真知事なんかは通産省で官僚をやりながらいまは地元の知事をやっていますので、そういう思いを抱いていた人間ではないでしょうか。



★「沖縄への思い」がグッジョブ運動の成否を決める 
 というわけで、グッジョブ運動は沖縄の口減らしであるとともに将来への投資という2つの側面があると思います。ところで、グッジョブ運動を推進しているのは沖縄の中では恵まれた職場であろう沖縄県庁や県内マスコミ各社であるわけです。なんだか椅子取りゲームの勝者が敗者を締め出しているように見えないでしょうか。
 
 グッジョブ運動は将来への投資になる、と思いますが、それはあくまで「故郷への思いが強い人が多い」という前提があればこそです。沖縄から追い出されるように県外へと出た人間が、今後とも沖縄に関わろうとすることはほとんどないでしょう。

 また、「故郷への思いが強い」というのは沖縄と内地が異質であるということによってでもあります。そして異質であるというのは離島県ゆえに沖縄と内地の経済活動には一定の隔絶があり、それゆえに生活の気風が異なるためでもあります。離れた距離が心の距離というのは男女間の恋愛においても地域間においても真実なのです。グッジョブ運動の積極的な推進により、たとえば琉大を卒業した者の多くが県外企業へ就職するようになり、そのうちに沖縄と内地の経済活動が一体化すれば、沖縄は大都市に人材を派遣する内地の一地方との「本土並み」化を遂げることになり、異質性は薄れ、故郷への思いも薄れる可能性があります。ただの没落する地方になってしまう恐れがあります。

 したがって、グッジョブ運動が成功するためには県外就職に若者を駆り立てるだけではなく、「沖縄への思い」を若者の心に育ませておく必要があるのです。そのためにはどうすればいいのでしょうか。私にはわかりません。教育とかかな?



★故郷たりえる沖縄へ
 翻って世界のウチナーンチュ大会です。彼らは戦前のソテツ地獄の時代に、まさに口減らしのため、そして個々人にとっては家族のために移民へと向かった人々です。彼らは異国の地で苦難の日々を歩みながらもどうにか自身の生活を確立し、なおかつ沖縄にすむ家族へ仕送りをするまでになりました。実際に戦前の沖縄の外部収入の多くは彼らの仕送りによって占められていたのです。

 そして彼らは二世三世となっても、父祖の故郷たる沖縄を訪れてくれています。今大会の海外県系人の参加者は過去最高の5200人となったようです。海外に県系人が40万人いることを考えれば、みんながみんな沖縄への思いを持っているわけではないでしょうが、海外県系人の崇高さを感じるには十分な数字です。

 彼らを沖縄に招き寄せた力をいまの沖縄は持っているでしょうか。「私の故郷はまさに『沖縄』である」と、言えるほどの固有性が沖縄県にあるのか。それがなければグッジョブ運動はただの人材流出と化すのではなかろうか。  

Posted by papapa at 17:59Comments(2)TrackBack(0)社会

2011年10月19日

このブログについて

 こんにちは。楽天ブログから今日の真昼間にこのブログに引っ越すことにしました。



★沖縄時事雑記帳

 このブログはオンラインで確認できる僕の雑記帳として機能する予定です。
とりあえず今後は、

◯イモ・ハダシ論再考
 復帰前になされたこの議論は基地経済が沖縄経済の中心だというのではなく、「強いドル貨幣のもとに沖縄経済がある」ことこそが沖縄経済の肝要であり、復帰前の沖縄経済は産業振興ではなく、「ドル」のおかげでそれなりに発展できたのだ、というのを考えてみる。

◯物産展の不毛さ
 パレットなんかで「青森物産展」なんかが開かれてりんごジュースなんかが売られていれば買いに行くけども、それが今後も直接に青森県産品の消費につながるかといえば大いに疑問符がつく。(青森県ごめんなさい。僕は青森が好きです)。沖縄県が県外で開く物産展でも同様であり、とりあえず県産品のPRをしてますよという口実としての物産展ではなく、もっとバイヤーと直接にうんぬんかんぬん…というのを考えてみる。

◯雇用のための企業誘致
 人件費が安いよ、という点を強調しての企業誘致は当面の措置としてはいいが、そればかりでは沖縄は若年で低所得で単純労働の労働者を多く産むばかりである。単純労働であるが故に雇用事情は当然流動的になり、それ故に失業率は高く、そしていずれ彼らは中年になっていく、…やばい。というのを考えてみる。

◯沖縄経済のあるべき姿
 県内GDPの最大化も大事である。まずパイを最大限に焼き、それから分配していけばよい、という話もわかる。しかし本当に大事なのは県内で安定した産業、雇用、消費のある経済構造をつくることではないか。県内の雇用や市場を流動化させて不安定なものにし、その不安定な動きの中にビジネスチャンスを見出し、超過利潤を掠めとろうというのでは、たとえそれで県内GDPが成長したとしても社会に多くの不幸と貧困を撒き散らすのではないか、という私の妄想を具体的に描く。

◯何のための福祉か
 福祉、なかでも公的扶助は生存権うんぬんではなく、それをどの程度まで行えばその社会の秩序の維持に資するかという視点でその水準が決まるのだ。だって昔はクーラーとか生活保護で認められてなかったし、アフリカなんかではまさに生命の危機にさらされている人がたくさんいるし。であれば現代の沖縄にふさわしい福祉の水準は…というのを考えてみる。



などを書いていけたらと思っています。しかしそれはしばらく置いといて、次回からは福沢諭吉の「学問のすすめ」を現代沖縄に照らしてパラフレーズしていくということをやることにしました。
  
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2011年05月19日

高校野球-去勢された沖縄人のしがない夢-

 ここ数日雨が降り続き、気を抜くと引き出しの衣類にカビが生える沖縄です。今日は晴れている、とは言えませんが陽の光を感じることのできる天候です。海でも見に行こうか。



★尋常じゃない沖縄の高校野球熱
 琉球新報にこんな記事がありました。

甲子園決勝は午前9時半開始 節電で、史上初の午前開催(2011/5/18)

 記事の内容はまあタイトル通りで、東北地方太平洋沖地震で原発がやられ、節電が必要となり、その余波が甲子園にも及んだということです。

 そしてみなさんご承知のとおり、沖縄は高校野球熱が他府県よりも高い地域であります。甲子園の時期になれば新聞には各企業が出場校応援の広告を出し、優勝でもすれば県知事が表彰し、TVでは特別番組が作られるといった次第なわけです。あたかも発展途上国がオリンピックで金メダルをとったような騒ぎになるわけです。



★沖縄の高校野球の歴史
 まあそれにもそれなりの理由があるわけで、沖縄の高校野球の歴史をちょいと調べてみれば、米軍占領下の1958年に首里高校が特別枠のような形で甲子園に参加します。米軍に頼ることはできず、かといって自ら立つ意志も能力もなく、本土へ依存することでしか自己の未来に希望を見出すことのできない状況にあった当時の沖縄ではそれはもう感動的な出来事でした。試合は初戦で3-0で敗れ甲子園の土を持ち帰ったところ、植物検疫法か何かに引っかかって海に捨てられ、それを知ったJALのスチュワーデスが代わりに甲子園の石を球児たちに送ったという美談があるわけです。

 それ以降もこれまた復帰前に起こったいわゆる「興南旋風」でも沖縄は大騒ぎし、90年代の沖縄水産の二年連続準優勝でも大騒ぎし、沖尚がセンバツ優勝なんかでもすると、ついに県民の悲願が達成されたと、まるで米軍基地が全面返還されたかのように騒がれ、興南が夏の甲子園優勝した日には、もう明日には俺たちみんな死ぬんじゃないかぐらいの幸福の絶頂にいたわけです。



★病理としての沖縄の高校野球熱
 沖縄の高校野球の歴史的場面一つ一つと、当時の沖縄の世相のリアクション一つ一つを鑑みると、沖縄が高校野球に対して抱く感情は対本土意識と強く関わるものであろうとの仮説が成り立つことが推察されます。そしてそれは既に多くの人が言ってきたことでもあるし、沖尚なり興南なりが優勝したときの新聞特集なんかにも沖縄の知識人がしたり顔でそういったことを書いているわけです。

 しかしその論調は大体において次のようなものです。すなわち、「米軍占領下に置かれ、復帰後もいまだ県民所得や米軍基地などの面で"本土並み"(私の嫌いな言葉の一つである)が達成されない沖縄において、球児たちが成し遂げた偉業は県民に勇気と自信を与えるものである」と。

 上のコメントは、"本土並み"を志向して本土に憧れと劣等感を抱くという、沖縄の卑屈な精神が十二分に発揮された復帰前に青春時代を過ごした沖縄人の典型的コメントとでも呼ぶべきものです。

 復帰前に青春時代を過ごしたような沖縄人は実体験としても本土との劣等感に苛まれ、被差別意識を感じるような体験をしてきたわけです。そのくせ沖縄県勢が甲子園優勝した日には大喜びするのですから、その実、本当は本土から認められたいという屈折した感情も持ち合わせています。まさに「ヤマトにごうかんされて妻になった女」の心情です。「ヤマトゥンチュになりたくてもなりきれない心」ではない。

 つまりは沖縄の高校野球熱は単に野球好きであるということ以上に、卑屈な精神と屈折した感情から湧き上がるものなのです。



★高校野球への過剰な傾倒は自立精神に反する
 「ヤマトにごうかんされて妻になった女」とは大城立裕の言葉です。彼は沖縄の独自性や自立や自治に対して前向きな言論を行なう者です。しかしそんな彼にも次のようなエピソードがあります。
 
 大城立裕はかつて琉球政府時代の公務員研修所所長をやっていて、新人の政府職員なんかに講義をやったりしていました。そして普段どおりに「沖縄の文化と歴史」みたいな内容の講義をしている最中、甲子園での興南高校の活躍を聞き、「講義なんかしている場合ではない」と言って沖縄の文化と歴史を断ち切り、高校野球を研修員と一緒で見た、という話です。

 大城立裕が野球狂であるとは思えない以上、彼が高校野球に熱中したのは、彼もまた卑屈な精神又は屈折した感情を持っていた、ということになります。

 さてついにまとめに入ると、基本的に沖縄の自治自立を説く人が高校野球に過剰に熱中するのは間違っています。高校野球への過剰な熱中は卑屈なあるいは屈折した"対本土意識"から生まれるものです。そしてそれは本土というフィルターを通して沖縄に熱中している(本土目線で沖縄を評価している!)ということに他ならず、そのような者から真の自治精神なり自立精神なりが生まれてくるとは到底思えないのです。

 真の自治精神を持つ者に必要なのは、本土並みでも本土意識でもなく、"脱"本土意識なのです。

 というわけで、沖縄の真の自治自立を考える者は、周囲の熱狂とは少し距離を置いて高校野球を楽しまなければならないのです。   

Posted by papapa at 19:06Comments(0)TrackBack(0)社会

2011年05月09日

平田大一部長への期待と不安

★平田大一(42)が沖縄県庁の部長に
 さてちょっと古い話なのですが。2011年度より沖縄県庁には文化観光スポーツ部なるものが設置され、その部長には平田大一(42)が抜擢されました。通常であれば、県職員の50代後半の人が部長になるのを考えれば、まず若いですし、民間からの登用も異例です。彼はもともと沖縄21世紀ビジョンの策定に深く関わってきた、いまの沖縄で最も活力のある人間の一人であり、仲井真知事とも面識があって、という人でした。彼を登用したことで仲井真知事の沖縄の政治への情熱も伝わります。従来通りの人事を行わないということにはそれなりのエネルギーを要することですし、それを打ち破ってまで平田大一を登用したことには並々ならぬ情熱を感じます。



★平田大一部長への不安

 同様に知事の依頼を引き受けた平田大一にも情熱を感じます。そこらの県職員よりもよっぽど彼の方が沖縄県勢発展への意気込みが強いでしょう。しかしながらその意気込みを現実に反映できるかと言われれば、そこには不安の入り交じった期待の目が向けられます。公務員の仕事というのは法律に縛られるものであり、ましてや地方公務員であれば自ら法律をつくる権限もないためなおさらです。平田大一が何かを事業を起こそうとしても必ずや法律の壁にぶち当たり、また関係機関の利害調整にもぶち当たり、当初の意志を貫徹するのは難しいことでしょう。おまけに部下の県職員にあたる人たちはそれを重々承知の上で仕事の経験を重ねてきた者たちですから、民間のアイディアの実現を論理的に諌めることに長けていることでしょう。

 そしてなにより障害となるのは地方行政機関の資金のなさです。県単独の予算でそれなりのインパクトのある事業を興すのはまず不可能に近いほど困難で、それなりのインパクトのある事業には必ずそれなりの金が必要となります。であれば国に要望して補助金なり何なりを獲得する必要があるのですが、国が関われば当然に国の縛りが入り結局本当にやりたいことはできない場合があります。



★平田大一への期待
 このような状況の中で、平田大一は活力ある事業をわが沖縄にもたらすことができるのか。相当の情熱がなければ困難なことでしょう。しかし彼はこの身一つで事業を起こし、それを成功させてた経験を持つ者です。彼には起業家精神があり、なにより情熱があります。人を惹きつけるものを彼は持っています。しかしいままでそれが発揮できたのは民間の自由な環境の中での話です。一切の恣意性は排除され、屁理屈に近い第三者の言いがかりもケアしながら常に公正と合法が求められる行政の世界で彼が何をできるのか。不安と期待が入り交じります。

 結局のところ、彼には期待しています。従来通りに定年間際の県職員が部長になるよりも、何かをやってくれそうな期待感は掻き立てられるのです。  

Posted by papapa at 09:01Comments(0)TrackBack(0)政治・行政

2010年12月15日

沖縄県民は社会的にも経済的にも生活習慣病者であり…略

 今日のタイトルは「沖縄県民は社会的にも経済的にも生活習慣病者であり、精神的なメタボリックに陥っている-浦添ようどれと振興予算の一括交付金化」です。安酒のせいで長いです。日の入りがすっかり早まり、トックリキワタなる街路樹の花がボタボタと道路に落ちている12月の沖縄です。



★アクセス数が1万を超えた
 さてこのブログは私の雑記帳として機能しているわけでありまして、更新などは気の向くままにやるのです。それで今日、仕事が終わって、本日の我が身の来し方ぶりを思いつつ、1,000円ワインを片手に煙草をくゆらせながら久方ぶりにこのブログを見てみると、アクセス数が1万を超えていた。ブログを解説してはや3年、正直ちょっと感慨深いです。

 いやまあ、アクセスの7割方はわけのわからない広告やらなんやらのものなんでしょうが、残りの3割はそうではないと考えると、うれしい。



★最近の沖縄の時事
 それはそれとして、沖縄時事雑記帳なので、最近の沖縄の時事を振り返ると、尖閣諸島の話や県知事選の話がありました。あといま重要でホットな話題が沖縄振興予算の一括交付金化です。私は先の県知事選の投票には行っていないのですが、仲井真候補が当選したらいいな~、と思っていました。彼のTwitterなんかもたまに読みます。

 仲井真知事は沖縄21世紀ビジョンや今回の一括交付金といった施策、いまの不完全燃焼で一酸化炭素中毒気味の我らが沖縄に処方すべきであろうと思われる施策をやってくれている、と個人的に思うわけです。



★沖縄振興予算の一括交付金化は硬直した沖縄を打破する現状唯一の可能性
 21世紀ビジョンについては以前に書いたので差し置くとして、一括交付金です。要は、いままで沖縄振興予算という形で国からもらっていたお金はひも付きの補助金だったわけですが、これを使途自由な交付金でください、という話です。私の大好きな例え話で繰り返しますと、いままでサンエー商品券やお米券や図書券でしか仕送りをしてくれない親に、「いやもう現金で送ってくれよ」と話すようなものです。

 これの実現は難しいでしょう。国の官僚は、自治体の公務員が予算を独力で有効かつ効率的に管理できるとは思っていないでしょう。自治体なんて奴らに現金を渡すと、すぐにギャンブルやら風俗やらに使ってしまい、「食料が買えない、衣服が買えない」と嘆くのがオチだろうと思っているわけです。ならば最初から現金ではなく、サンエー商品券を渡してしまえ、となるのです。生活保護受給者には現物給付せよ!という意見と同じ考えです。

 まあ実現性はともかくとして、いまの沖縄県の財政状況を改善するために最も現実的で有効な可能性のある施策が一括交付金なのです。沖縄県の財政はいわゆる脆弱で硬直した構造です。あんまりだらだらと冗長な文を書くのも良くないので、結論を先に書くと、とにかく大幅な歳入増がなければ財政はよくならないのです。そして画期的な経済政策も増税策も持ち合わせない沖縄県が唯一取れる財政改善の方法が一括交付金、というわけです。

 実現すれば、脆弱ながらも柔軟な財政構造に沖縄は変わるでしょう。そうなれば、投資的な県政策も少しは可能になります。多くの失敗とわずかながらの成功を通じて沖縄にも自己決定の態度でもって自らの将来を真剣に眼差す政治や言論が生まれるかもしれません。逆に一括交付金が地方債の償還なんかに充当されたら目もあてられないですね。



★なんと、浦添ようどれの映画ができていた
 あといま浦添ようどれもホットな話題です。
映画「浦添ようどれ」に優秀企画賞・映文連アワード授賞式


 浦添ようどれは英祖王の墓で、あと薩摩侵攻時の王様である尚寧王のお墓もあります。尚寧王が属する第二尚氏王統のお墓は先祖代々、玉陵と決まっているのですが、薩摩の侵攻を許した尚寧王はこれを恥じて先祖と同じ玉陵に入るのを拒否した、という話があります。浦添ようどれにはこの2人の王様のお墓が並んでいます。

 また浦添ようどれのある公園は、整備中の浦添城址や、伊波普猷の墓碑なんかもあったりして、なかなか歴史ロマンのある素敵な場所です。私も何度かでかけたりしています。

 上に挙げた記事には「すべての日本人が沖縄について深く考えることが求められる今日、本土の特に若い世代に広く伝えられるべき重要なメッセージ」として浦添ようどれの映画が内地の人に評価されています。私に言わせれば、本土の人は知らなくても結構ですので、沖縄に生まれた人には、「自分たちの歴史の上澄みぐらいはなぞってみよう」との気持ちをいだいて欲しいです。

 つまり今日のブログでは、尖閣やら県知事選やら一括交付金なんかより、浦添ようどれの映画ができた、というのは私に取っての今年最大のニュースである、ということになります。来年の1月7日~9日まで、リウボウホールでこの映画の上映会があるらしいので、ぜひ観に行きましょう。  

Posted by papapa at 22:18Comments(0)TrackBack(0)政治・行政